旧豊川地区の詳細 - 粟生外院地区の歴史と現在
概要:
粟生外院地区は箕面市の北西部に位置し、北は箕面山、南は国道171号線に囲まれた歴史ある地域です。
戦前は広大なケシ畑が広がり、寒風「キタヤマオロシ」が吹く冬季には過酷な環境であったと伝えられています。
粟生村は、現在の粟生外院、粟生新家、粟生間谷、茨木市粟生岩坂を含む広大な村で、歴史的には多くの地名が関連しています。
歴史的背景:
「粟生外院」という地名は、勝尾寺の別院である帝釈寺に由来しており、1243年の『沙弥心空筆勝尾寺古流記』にその名前が記されています。
当時の粟生村は、4つの小村から成り、後に行政上は1村として統一されました。
地域では、粟生外院が「ゲイ」、隣接する外院地区が「キタゲ」と呼ばれ、地元住民にとって身近な呼び名となっています。
自治会と地域生活:
粟生外院地区には古くからの集落が残り、3つの垣内(組)に分かれて自治を行っています。
東組、西組、中組にそれぞれ役割が分担され、祭事や行事が村の生活と密接に結びついています。
現在もこれらの単位が地域生活に根付いており、行事の際には各組が協力して運営しています。
水利と農業:
高台に位置する粟生外院地区では、水資源の確保が重要でした。
新池や皿池などの溜池が多く、現在も一部は公園として利用されています。
これらの池や水路を通じて田地に導水され、地域の農業を支えてきました。
特に「ヨウジンイケ」という池は、常に水を満たしており、その水源の重要性が認識されていました。
寺社と地域文化:
地域の中心的な寺院である帝釈寺は、真言宗の宝生山として地域の檀那寺です。
年間の行事に加え、毎月20日の「お逮夜」には住民が集まり、観音経を唱える法要が行われています。
婦人会も詠歌の練習を行い、地元の伝統が守られています。
五字神社もまた、粟生外院地区にとって重要な神社です。
安永6年(1777年)に現在の場所に遷宮され、祭神は知恵の神として信仰されています。
月に数回行われる供え物の儀式や宮当番制度など、神社は地域住民の生活と深く関わり続けています。
結び:
粟生外院地区は歴史的な背景を持ちながら、今も地域生活や伝統が息づいています。
地域の人々が大切にしている文化や自然が残るこの地区の魅力を、訪れる人々にも知ってもらいたいと感じています。